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球界因縁のライバル(25) 古田VS宮本(上)

 以前のコラムで労組・日本プロ野球選手会会長経験者の巨人・原辰徳監督&前阪神監督の岡田彰布氏VS選手会を脱会してFA移籍の中日・落合博満監督の確執に触れたが、もう一つの選手会を巡る対立関係がある。前ヤクルト監督の古田敦也氏VSヤクルト・宮本慎也という、これまた選手会長経験者同士だ。

 南海の野村克也(現楽天監督)以来という選手兼任監督で話題を呼んだヤクルト・古田監督だが、2006、07年のわずか2年間で解任された。ヤクルト監督時代の野村ID野球の申し子といわれる因縁もあり、期待が大きかった分、その反動で失望も広がった。「古田はあの程度なのか」と。
 何でも自己PRが優先する古田監督に対し、チームリーダーの宮本がいち早く一線を引いた。「自分の仲間のスタッフを引き連れて、プロジェクトFという企画宣伝に何億円もかけたのに、観客は増えないし、負けた言い訳は『チームが補強してくれないから』では、宮本も怒るだろう。そもそも労組・選手会長としての古田の素顔を知っているから、なおさらだろう。宮本が古田と距離を取った時点で監督失敗は見えていた」とヤクルト関係者は語る。
 04年9月18、19日に決行された日本プロ野球史上初の選手会のストライキ。オリックス、近鉄の合併から動き出した1リーグ制度導入に反対、断固阻止の強権発動は成功した。「涙の古田選手会長」がテレビで報じられ、同情した世論が一斉に選手会支持に傾いたからだ。巨人・渡辺恒雄オーナー(現球団会長)の「たかが選手」発言も、選手会にとってフォローになった。が、実際は「古田は優柔不断でストライキをなんとか回避しようと必死だった。が、合併当事者の近鉄の選手会長・礒部(現楽天)が強硬で一歩も引かず、引きずられてストライキになだれこんだ。まさに結果オーライだった」とある球団関係者が打ち明ける。

 ストライキを成功させた、涙の古田選手会長はテレビが作った虚像で、実像は全く違っていたのだ。監督になってからも虚像と実像の落差は埋まらなかった。「本当に頭にくるよな。我々担当記者があいさつをしても、ろくすっぽ返事をしないくせに、ベテランの遊軍記者だと自分の方から笑顔であいさつするんだからな」。ヤクルト担当記者はこう怒りをぶちまけたものだ。一事が万事だった。
 ヤクルト・古田選手兼任監督が誕生と同時に、労組・日本プロ野球選手会長をバトンタッチされたのが宮本だ。04年8月に行われたアテネ五輪日本代表チームのキャプテンとして、そのリーダーシップは高く評価されたばかり。宮本新会長は実務者レベルの日本プロ野球組織(NPB)との事務折衝にもひんぱんに顔を出し、「スタンドプレーが目立つ古田と違って、誠意がある」と評判は上々。国内FAの短縮に成功している。日本代表チームの主将、労組・選手会会長というポストは、宮本のリーダーシップを際だたせ、球団側からの「ヤクルトの将来の監督」というお墨付きまで手にしている。
 古田監督の失敗を目の当たりにしている宮本は、労組・選手会の会長のポストを昨年12月の総会で阪神・新井貴浩へバトンタッチ。今年3月に行われたWBC日本代表にも「もう卒業です」と最初から辞退宣言している。将来のヤクルト監督へ向け、今季はコーチも兼任、着々と準備を進めている。期待を裏切った古田前監督と違ったどんな野球をやるのか。近い将来誕生する宮本新監督に対し、ファンは注目している。

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