<日本ハム2-0西武>◇26日◇札幌ドーム

 泣き続けた。試合終了前に、オリックスの敗戦を知った。9回表の攻撃中、渡辺監督から優勝を伝える小さな握手を求められた大久保博元打撃コーチ(41)は、もうダメだ。大きな顔は真っ赤。子どものように、人目もはばからずに号泣した。試合が終わったベンチで、選手に抱きつき、渡辺監督としがみつくように抱き合った。「監督を胴上げするためにやってきた。本当に死にたい。人生、終わってもいい」。誰よりも熱く、優勝をかみしめた。ビールかけでも泣き続けた。わけわからず「つらい…」ともらし「おかわり君」にはキスをした。

 就任当時、渡辺監督から「ファンが見たいのはホームランだ」という命題を受け、デーブ改革が始まった。大リーグ取材で学んだ早出練習「アーリーワーク」の導入は今や西武の代名詞になった。「最初はAクラスに入るのもキツいと思ってた。でも、時間がかかると思っている練習をすぐできるようになる選手が多かった。若い選手は量が質を生む」。徹底して振り込ませ、フルスイングと自信を植えつけた打線は、12球団トップの191本塁打を量産した。

 「日本シリーズで戦っていると思え」。円陣で奮起を促す言葉は、チーム一丸で勝利に向かわせる力があった。独自のデータ分析で狙い球を絞り、アドバイスは短く的確に伝えた。

 シーズン中、ソフトバンク王監督の話す言葉を、正座してメモをとる姿があった。「王監督が打った868本塁打のうち、700本は直球系と言っていた。おれは年間15本が最高だけど、王監督の言葉といえば説得力がある」。工夫して選手に伝えた。

 数年前、現役時代から親しい先輩の横浜工藤、渡辺監督と食事した時「2人が監督をやるようなときが来たら、おれが宴会部長をやります」と誓った。他球団からのコーチ要請は断ってきたが、昨年秋、渡辺監督から本当にオファーが来た。「コーチは2軍で最低3年はやらないと、いきなり1軍でやっちゃいけない」と悩んだが、「野球への情熱、打撃理論を聞いて、絶対おもしろいコーチになると確信を持った」という渡辺監督に口説き落とされた。

 「現役時代は西武にいい思い出がなかった。2軍に落ちれば、扱いはひどいもん。悩んでいると、肩に手を回して『どうした、デーブ』っていつも声をかけてくれるのが監督(渡辺)だった。今は所沢がいい町と思えるようになってきた」。5月にはサヨナラ勝ちに興奮し、ダッシュして右太もも裏を肉離れしたこともあった。今や誰よりも熱く、感情むき出しの名物コーチになった。【柴田猛夫】